[ ロータリークラブの誕生 ] |
1905年2月23日の晩、米国イリノイ州シカゴ・デアボーン街にあるユニティ・ビルの711号室に4人の男性が集まりました。
その4人とは、弁護士のポールP.ハリス、石炭商のシルベスター・シール、鉱山技師のガスターバス・E・ローア、洋服商のハイラム・ショーレーです。 4人は、ポール・ハリスがあたためてきたアイデアについて語り合いました。 彼らはお互いの事業あるいは職業上の結び付きを通じて、友好的交友関係を築くことができるはずであり、またそうするべきであると意見を交わしました。 仕事の上での関係が、友情の妨げとなることはない、ポールはそう考えていました。 職業を通じて結ばれた関係は、個人的な友情に発展させることができるし、またそうすべきであることを4人は深く認識し合いました。 そして、さらに話し合いを続けた結果、このような交友関係を育むためには、何らかのクラブをつくることが一番良いという結論に達したのです。 この晩に開かれた会合が、実質的にロータリークラブにおける世界最初の会合と言えます。 こうして、世界で最初のロータリークラブ・シカゴロータリークラブが発足しました。 ちなみにロータリーという名称は、集会を各自の事務所を持ち回りで順番に開くことから名付けられました。 その後、志を同じくするクラブが次々と各地に生まれ、国境を超え、今では200以上の国と地域に広がり、クラブ数32,943、会員総数1,224,168人(2008年3月31日RI公式発表)に達しています。 そして、これら世界中のクラブの連合体を国際ロータリーと称します。 このように歴史的に見ても、ロータリーとは職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなのです。 その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれてロータリーは世界に眼を開いて、幅広い奉仕活動を求められるようになり、現在は多方面にわたって多大の貢献をしています。 |
[ 日本におけるロータリー誕生の経緯 ] |
わが国最初のロータリークラブは、1920(大正9)年10月20日に創立された東京ロータリークラブで、
翌1921年4月1日、世界で855番目のクラブとして国際ロータリーに加盟が承認されました。
日本でのロータリークラブ設立については、ポール・ハリスの片腕としてロータリーの組織をつくり、 海外拡大に情熱的に取り組んだ初代事務総長チェスリー・ペリーと、創立の準備に奔走した米山梅吉、福島喜三次などの先達の功によります。 その後、日本のロータリーは、第2次世界大戦の影響を被り、1940年に国際ロータリーから脱退します。 戦後1949年3月になって再び復帰加盟しますが、この時、復帰に尽力してくれたのが国際ロータリーの第3代事務総長ジョージ・ミーンズでした。 その後の日本におけるロータリーの拡大発展は目覚ましく、今や国際ロータリーにおける日本の地位は不動のものになりました。 現在、日本全体でのクラブ数は2,314、会員数97,822人(2008年5月末現在)となっています。 |
[ ロータリーの綱領 ] |
ロータリーの綱領は有益な事業の基礎として奉仕の理想を鼓吹し、これを育成し、特に次の各項を鼓吹育成します。
第1:奉仕の機会として知り合いを広めること。 |
[ 4つのテスト ] |
1. 真実かどうか 2. みんなに公平か 3. 好意と友情を深めるか 4. みんなのためになるかどうか 1932年、ロータリアンのハーバート J. テイラーが4項目からなる簡明な倫理指針を考案しました。 この指針は、窮地にあった彼の会社を救うのに役立ちました。この指針が表現していた内容や信条は、ほかの多くの人たちに対しても倫理的羅針盤を提供することになりました。 やがて、国際ロータリーによって採用され、広く知れ渡ることになったこの四つのテストは、今日ではロータリーの基本理念の一つとなっています。 |